昨日の満月すごかったですね。
そして『光る君へ』の最終回という…いとをかし…。
おかげさまで心身ともに少しずつ落ち着いてまいりました。
ファミリーたちよ、ありがとう。
今日は買い物についていったり、パン屋さんでランチしたり。
あとはルシア・ベルリン『すべての月、すべての年』を読み進めるなどしていました。
世間から一周遅れてるね。今は『楽園の夕べ』ですよね。
でも、素晴らしく『すべての〜』を堪能させていただいています。たまらないね。もう。
何にも囚われていない文章というか、ジャンル分けとか、長編、中編、短編だとか、そういう文学にまつわる型の何にも縛られることなく書かれたんじゃないかと想像してしまうほど、自由というか。
ただ純粋に己の人生から抽出された五感の記憶や人間模様の行間みたいなものをそのまま文章に起こされたものを読み、彼女の人生を追体験することによって、こんなにも鮮やかで豊かな気持ちにさせられるんだと、驚きと恍惚感で一篇読むごとにため息が出るのよ。
読み終わってしまうのが惜しいけど、まだ『楽園の夕べ』が待っていると思うと、恐れることなく読み進められるな。それもいいね。
あぁ、2024年の買い納めは既にしてしまったので、2025年の買い始めで買いたい本がもうめちゃくちゃ溜まっていて、年を越すのが恐ろしいです。
読みたい本に関しては本当に取捨選択ができない……
なんか、読書会したいな。こじんまりと。
エトセトラブックスの読書会がすごくよかったので、近しい友達とかとできたら、なんて妄想してしまう。
まぁ、少し調子を取り戻したから言えていることなんだけどね……
そのうちすぐまたbadモードになってそれどころじゃなくなりそうだし。
あと、最近はSNSの使い方についてよく考えている。
色々更新してるけど、今後どうしていこうかなと。
来年からtheLetterも始めるし。(↓ご登録お待ちしております)
思い切って消してしまおうかと思ったり、これまでと違うことを発信してみようかなと思ったり。
なんかmixi2とかもできちゃって、すごいよね。
そもそもSNSの使い方に悩むってなんだ?
別に仕事じゃないし、ただ楽しいと思うことだけすればいいのは分かっているんだけど。
前回の日記で仲間がほしいって言ったけど、思えばそれに通ずるものがある気がする。
友達がほしい、のかもしれない。
先日の私のからだデモでも思ったけど、わたしひとりぼっちなんだよね、基本。
連帯とか、自分はしてるつもりでも、正直一方通行感が否めない場合も多いし。
大きなプラットフォームに属しているわけでもないので、個人で開拓していくしかないけど、なかなかね、苦手な分野でですね。
今まではひとりで完結していて、それで全然満足していたんだけど、それが最近はシェアしてともに研鑽し合える仲間がほしい、みたいな感じなのかな。
だから一瞬SNSを頑張ったりしたのかな。
うーん、分からない。症状としての孤独感がそうさせている可能性もあるし。
もし仲間づくりとしてSNSでの発信を頑張りたいならそれはそれで大いにやるべきだけど(本当にそれで人と近しくなれるのかは別として)、ただなんとなく発信しなきゃみたいなマインドなら考え直したほうがいいかもだよね。
考えすぎかな。たぶんもっと気軽にやってるよね、皆。
なんでこんなに悩むんだろう。
答え、募集中です。