9月22日 わたし、ご機嫌よう

わたし、ご機嫌よう。
突然ですが、日本語の好きなところは漢字とひらがなの組み合わせでかなり文章の印象を変えることができるところです。英語で置き換えると大文字と小文字の使い分けかなぁ。


前回の投稿から約一ヶ月も経っていて驚き桃の木山椒の木。
二重生活が一旦落ち着いたのはいいんだけど、己を律し続けていた反動なのか、ここ最近の煩悩の暴れようがすごい。平気で3〜4万の買い物をしまくるし、普段は絶対にしない衝動買いも多すぎるし、今日にいたっては大谷さんとの子どもを妊娠してる夢までみる始末。(超ラブラブで最高に幸せな夢だった)

おかしい。
食費はあんなに10円単位で得しようとするのに。どうしても身体が動かなかったときにウーバーで1,200円のキンパを注文するのにはあんなに躊躇するのに。

でも、どれもとても実用的だしスーパー気に入っているし、気分が上がるのも真実なので、これまで頑張っていた自分へのご褒美ということでよろしいのではないでしょうかね。この状況下でどれだけご褒美するんだって話なんですけどね。


この一ヶ月間のトピックは色々あるけど、とりあえず書いておきたかった『君たちはどう生きるか』2回目の感想を書く。


複数回観ようと決めてはいたものの、なかなか行けてなかった『君たちはどう生きるか』2回目。先週ようやく時間と心理的余裕と相応の理由ができたので行ってきた。

まず思ったことは、前回は相当身構えていたな〜(笑)ということ。
これで最後かもしれないハヤオの新作。どう考えたって観る側にも力は入る。
けど、そのときに感じたことを誰の批評を読む前に自分でまとめたのもあってか、今回はとても頭のなかが整理できた上で冷静に、素直に楽しむことができたと思う。

多くの人にとってハヤオの作品が特別なのはわかってるけど、じゃあわたしは何をもってこんなにも魅かれるのかと改めて考えて最近たどり着いた答えがある。
それは、動植物の姿形や動きが自然の理を歪めることなく、正しく理解したうえで描かれていることになんじゃないかと。すごい偉そうな言い方で腹立つね。例えば、人は階段を登っている途中で立ち止まって一息つくときがあること、雲が動いていること、鳥の骨格や筋肉の動き方が違和感を感じることがないこと、とか。『風立ちぬ』で度数の強いメガネをかけている主人公の顔をわざと歪めて描くエピソードは有名ですよね。

アニメはどうしたってフィクションになるけど、それでもその世界にリアリティがなければ没入感は希薄になる。そのリアリティっていうのは、最近よくある実際にある場所を写実的に描くこととはまた違う意味だと思うんだよな。

物事の成り立ちを理解しているという大前提があって、それからアニメならではの表現、デフォルメであったりカメラワークであったりがあるから気が紛れることなく集中して物語に身を浸すことができるのですよ。それプラス、確かな民俗学的知識に基づいた説得力があるからハヤオの作品は安心と信頼の実績なわけですよ。別にわたしは造詣が深いわけでもなければ、あくまでわたし個人の感想であり、好みの話ですけどね。
ただ、それってなにかを表現する人間の手本のような姿勢の気がするんですよ。

とにかく、わたしがハヤオを好きな理由を再確認することができたし、初見で感じたメッセージや感銘を更に強く確信することもできた素晴らしい体験でした。なんなら泣いた。

それと同時に、わたしはハヤオの非常にプライベートでセンシティブでパーソナルな部分を勝手に決めつけ、スキャンダラスに批評的なものを述べる人間が非常に苦手だということも再認識した次第でもあった。まじで相容れねえんだが。


数年ぶりのジブリ美術館。最高にエキサイティングした。
彼の腰に生えている草は本物なんだろうか。