8月2日 心身弱っているひとに

心身弱っているひとに「みんなそうだよ」と声をかけることの暴力性について。
ここ数ヶ月、毎回メンクリで言われてすごく違和感があるので書き殴る。

 


もちろん、その一言に救われるパターンもあるでしょう。
孤独感に苛まれているときとかはそんな気がする。

でもわたしの場合はそれを言われた瞬間に心を閉ざしてしまうワードでして。
「みんな大変なんだから弱音を吐くな、自分だけが辛いと思うなよ」というメッセージを勝手に受信するのよ、相手に無意識にそういう気持ちがあるのかはわかりませんけども。
一等弱ってるときに言われた暁には、そうだよな、誰だって歯食いしばりながら何とか日々生きてるんだよな的な思考に陥っちゃって、自分がその痛みを認めてあげられなくなってしまうのよ。
そうやってどんどん痛みに鈍感になっていって気づいたらもうバーンですよ。

今自分が感じている辛さは本物なのか。
今の環境に対して妥当な反応なのか。
自分が怠惰なだけなのではないか。
ただの甘えなんじゃないか。

そんなことは本人が一番疑っているし、正常に判断できなくなっていることだって往々にしてある。特に精神的な辛さは数値で表すことができないので、その傾向を強いと思う。

そういう時に助けになるのが、そのつらさや苦しみを他人に認めてもらうことじゃないですか。
「みんなそうだよ、そんなのあるあるだよ」と相対化するのはもう暴力以外の何者でもないですよ。

自分の痛みは自分だけのもの。
これっていざ自分ごととなると不思議なほどわからなくなってしまうけど、いつだって己のメンタルに刻みつけておきたいですね。「そうなんだ、それは辛いね」といってくれる友人たちをわたしは大切にします。



思い返せば、もっとバリバリ働いていた頃に仕事上の理不尽やストレスを相談したりすると、必ず仕事ってそういうもんだよムーヴをかましてくる人間がいてまじで腹が立ってたんだけど多分同じ理屈だわ。そしてわたしの経験上は100%年上男性だったので、この場合は所謂マンスプと言っていいでしょう。